|
1946年カスピ海沿岸の町バクーに生まれる。幼少の頃より音楽的な才能を示し、16歳でモスクワ音楽院に入学。卒業後、国立モスクワ音楽院にて名ピアニストで音楽学者のヤコブ・ミルシテインに学ぶ。在学中から秀でた才能は広く認められ、S.ネイガウス、J.ミルシテインなど著名な教授たちは不在の時の授業を任せていたという。
旧ソビエト圏内で活躍を開始し、先進的個性を持つピアニストとして知られ、当時、演奏が禁止されていたメシアン、シルヴェストロフ、シュニトケなどの作品を演奏し続けていた。しかし政府から敵意を持たれ、非難の対象となる要因にもなった。このような状況の中にあって、他のピアニストの演奏会になど滅多に出掛けることのなかったエミール・ギレリスは、サハロフの演奏会にだけは足を運び、自らの演奏会にも同じ曲目を取り入れておこなっていたといわれる。そしてギレリスのサハロフに対する賞賛と友情は年齢差を越えて熱く注がれ、やがてD.オイストラフ、ユーリ・エゴロフ、レフ・オボーリン他、幅広い親交へと繋がり、共産主義の息苦しい中で大きな支えとなった。
1989年フランスに移住してからのサハロフは、ヨーロッパ各地のコンサート、音楽祭にたびたび招かれるようになった。1992年にはギドン・クレーメル、クリストフ・エッシェンバッハ、バンベルク交響楽団一行とバルト三国を演奏旅行。ギドン・クレーメルには「ギレリス、リヒテルの後を継ぐ本格派ピアニスト」と賞賛され、室内楽グループ「クレメラータ」との共演や、彼のデュオパートナーとして多才な演奏活動を展開している。また、ヴェンゲロフ、トレチャコフ、レーピン、モニゲッティ等との共演、ソリストとしてもバシュメット室内管弦楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団、イギリス室内管弦楽団、ロンドン交響楽団などに招待され、その独特の個性と豊富なキャリアを開花させている。特にクレーメルとは録音でもたびたび共演し、室内楽のメンバーとしても数回来日している。
|